丸岡町高柳墓地に「殿様の墓」と呼ばれている一際大きい墓石がある。江戸後期の代官「蒔田雁門」の墓碑である。雁門は少年の頃より勉強を大変好み,良書は金銭を惜しまず買い求めて研究した。また,箏曲に優れ,漢詩で有名な「長恨歌」を和訳した。雁門は箏曲の第一人者である京都の光崎検校と親しく,光崎の作曲した名曲「秋風の曲」を後世に伝えたいと,天保8年(1837)2月に「箏曲秘譜」を刊行し,「高向山人」として序文にその由来を述べている。晩年は福井に出て経史と韻学を教えた。
|
「日本一短い手紙文コンクール」の一筆啓上賞は全国に一大ブームを巻き起こしている。 1993年からスタートして2002年までの10年間執り行われた日本一短い手紙「一筆啓上賞」はより進化させる目的の下、2003年からは「新一筆啓上賞」と名前を改めて実施されています。毎年約4万通の応募があります。令和4年度で第30回を迎えました。これまでの入賞作品の一部は本丸への登り口の石段脇の掲示板に展示されています。
|
平成5年から本事業団で始めた一筆啓上賞の由来は、丸岡城にある「一筆啓上 火の用心 お仙なかすな 馬肥やせ」の句碑です。日本一短い手紙が全国で大ブームを呼び、一躍丸岡文化を全国に轟かした。平成15年からは、この手紙文は往復書簡となり、現在は新一筆啓上賞として心のこもった短い往復書簡を応募している。また、小さいかまぼこ板に絵を添えるコラボ作品も募集している。
|
明治38年 丸岡町本町3丁目に生まれる。京都帝国大学文学部卒業後 台湾の大学、京都大学、京都女子大学の先生を長年なさり、だれも手がけていなかった鉱山学、外交貿易等を研究して、今日の歴史学界に多くの研究者を育てて、平成8年には文化功労者に選ばれました。 丸岡図書館には、これまでの先生の著書をはじめ、約18,000冊の書籍が町へ寄贈されています。平成12年5月に丸岡の6人目の名誉町民となっています。平成13年8月に96年間という歴史学一筋に生きた先生です。
|