仏眼山 直乗院縁起

 当山の縁起については、確実な文献は残っていないため、過去帳にある歴代住職名義及び死亡年月と思われる年代譜と檀徒の霊牌年譜を根幹として、古老の話を参考にして過去700年の星霜を歴史的に解釈し記録する。(第四十六世住職 昭和30年記)
 


略史

 当山の開基は道範大徳にして、建長初年(1250年頃)、当地に巡錫の砌、一宇を建立され、本尊胎蔵界五智如来を祀られ、仏眼山直乗院と号される。当山は丸岡城の鬼門の方角に位置していたため、本多家が丸岡城主の頃祈願所とされ、寺紋に「本多立ち葵」を受けている。本多成重公時代に新江用水を開いた渡辺泉龍を讃え当寺に記念碑が建てられた(丸岡町文化財)。また、本多重昭公時代、境内地4反28歩並びに境外田畑を拝領し、第二十世日元上人が中興したとされている。昭和23年(1948年)の福井大震災で倒壊したが、第四十六世山本祐澄和尚が昭和33年に再建した。

宗派・本山

宗派 : 真言宗 御室派
本山 : 総本山 仁和寺

歴代住職一覧
 



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