Mr Chris Applebyを迎えて
−−−初めてのホストフアミリー体験記
足羽高校 大久保裕介
1.はじめに
足羽高校の姉妹校であるオーストラリアのマリストカレッジから12名の生徒と2名の引率の先生が足羽高校を訪れたので、その引率の先生の Mr Chris Appleby(35歳)に我が家へ Home stay をしていただいた。期間は1996年10月2日から12日までの10日間である。 この10日間に、私が予想もしなかった多くの経験(思い、感情、楽しい思い出)や発見があったので、そのことを書き表わしてみたいと考えてこの文章を書き始めている。何事も過ぎ去ると気持ちも薄らぎ、消えていってしまうので、日記がわりに書いてみたいと考えている。また、『書く』ことによって私が漠然と『発見した』と思っていることを整理して確かめたいとも考えている。そして、できればこの文章を手紙(英訳)にして、私の経験(思い)を彼(Chris)に伝えたいとも考えている。
2.Chrisとの出会い
10月2日午後8時20分 私たちは福井駅で彼を出迎えた。長身の生徒たちの後ろから、更に長身の大男が微笑みを浮かべながらゆっくりと改札口を出てきた。私は、すぐに駆け寄り、何度か練習しておいた英語をしゃべってみた。「My name is
Ohkubo.」 彼には、私がhostfamilyであることが通じていない様子だったので、慌てて、「I am your hostfamily!」と叫んでみた。今度はすぐに通じたらしく、 「オオ・・・ヨロシク・・・」といいながら握手を求めてきた。初めての人なので、遠慮しながらちょっと手を差し出したら、グイグイと強く握り締めてくるので、私も思わず両手を添えて握り返した。
『初めての HOMESTAY ENGLISH』という本で、いくつもの挨拶を覚えていたが、とっさには英語は出てこなかった。そこで、「How
tall are you?」と言ってみた。彼は長い英語で早口に答えた。まったく分からなかったが、最後のほうで「・・・・ナインティーフアイブ」だけ分かったので、私は「オオ イチメータ ナインティーフアイブ?」と叫んだ。彼は「yes・・・」と答えてくれたが、周りの人はニタニタしていた。周りの人がなぜニタニタしているのか私には分からなかった。誰かから、「イチメータは日本語だ」と指摘されたので、また慌てて「ワンメータ ナインティーフアイブ」と言い直した。「yes yes・・・」と何度も答えてくれた。これがChrisとの初めての英会話だった。
家へ連れてきても、早口でしゃべる彼の英語はほとんど聞き取れなかった。何度も「Speak more slowly.」と「I cant understand.」を連発してほんの少し分かる程度だった。そのうちに、 「Speak more slowly.」と「I cant understand.」ばかり言っていても話が進まないし、彼にも悪い気になってきて、分からなくても「yes
yes・・・」を連発するようになっていた。家族(私、妻、娘)のみんながそんな調子だった。こうして、私たちのhostfamily lifeが始まった。
3.習うより慣れろ!
次の日も、その次の日も、またその次の日も、毎晩、食後の3時間ほどは会話をして過ごした。そのうちに、彼の言っていることの一部を家族の誰かが少しずつ分かるようになってきた。家族3人で合議をして、解釈するとほとんど理解できるようになってきたのである。私たちの「broken english」も3人で力を合わせると段々と彼に通じるようになってきたのである。これは私にとって生まれて初めてのまったく不思議な経験だった。
私たち3人は、始めは同じ位の英会話能力だったが、だんだん能力を発揮し出して私達(私と娘)に差をつけたのは、妻の節子だった。彼女は日毎に聞き取れるようになり、話せるようになっていった。彼女の英語は、簡単なものであったが、お互いに十分に通じていた。彼女の趣味である字幕スーパービデオ鑑賞が、意外なところで役だったようである。世界の絵画のこと、映画のこと、音楽のこと・・・本当に楽しそうに生き生きとして話していた。私たち(私と娘)は、1.2時間ほど話していると疲れてきたが、彼女は会話そのものを心から楽しんでいるようにみえた。毎晩、夜更けても快活に話し込むので、彼と私は、妻のことを『cheerful 節子』と仇名をつけたくらいである。
『心躍らせて楽しむ』ことによってこそ学習は深められるのものだとつくづく思った。特に、語学の学習は『習うより慣れろ』であると確信した。
4.Enjoy life!
彼がやってきた最初の晩、「Australian are Easy going but Enjoy life!」というようなことを言った。私は、その意味を「仕事はいい加減にして、馬鹿騒ぎをして人生を楽しもうということだなあ・・・」ぐらいに理解していた。しかし、次の日も、その次の日もしばしば「Easygoing but enjoy life!」と言うので、その意味をもう少し詳しく聞いてみた。よくは分からなかったが、「こだわる必要が無いことにはこだわらずに、身の回りの対象に興味を集中し、日常の生活を楽しく生きるということだ。」と答えたように思う。そうして見ていると、彼は、まったくそのように、身の回りのことに興味を持ち、美を見つけて、日常の生活に楽しみを見つけて過ごしているのだった。
学校への出掛けに、金木犀の香りに気づいたので、1枝折って彼に渡した。車に乗ってから、何度も匂いをかいで、眺めて「beautiful」を連発いた。そして、口の中で「キンモクセイ キンモクセイ キンモクセイ」と何度もつぶやいて名前を覚えようとしていた。
ある日、「瓦を見たい・・・」と言うので、娘の勤め先の建築事務所へ案内した。瓦を見て「beautiful」を連発するので、社長が1枚の見本の瓦をくれた。瓦を抱えて車に乗った彼は、しげしげと眺めて「beautiful」と「treasure(宝物)」を連発した。「家を建てるときには、日本から瓦と障子と畳を輸入したい。」と言った。そして家に着くまで瓦をたたいて、その音を楽しんでいた。彼は、瓦を「treasure(宝物)」と言い、鞄に入れてオーストラリアまでも持ってかえるような詩人のような人物だった。
学校の行き帰り、いつも、「beautiful」を連発していた。日野山ににかかる朝もやに、田圃の景色に、紅葉しかかった山に、「beautiful」を連発していた。そのうちに全ての景色が美しいと言いだした。「人々も美しい。君の家族も皆美しい。君も美しい。これは人生にとって、重要なことだ。」と、まるで詩人のような口調で言った。「Its important.Important.」と繰り返しつぶやくように言った。私は、気になって「その人々が美しいことが、人生にとって重要だ。」ということはどういうことなのかと聞いた。彼は長々としゃべり続けたが、その英語はまったく分からなかった。それ以上聞いても分からないと思ったので、私は「I think so.」と大きな声で叫んだ。彼もうれしそうな声で「You are a good friend.」と叫んだ。私たちは、お互いに、何度も「I think so.」と「You are a good friend.」を合唱して強く握手をした。言葉は通じなくても心が通じたように思った。
私たちは、知り合って、まだ数日しか経っていないのに、いつの間にか昔からの友人のような間柄になっていた。こんな経験は、ホテルに泊まって旅行しても得られないホームスティーだからこそできる経験だと思った。ホームスティーの大きな意義だと思った。生まれて初めての不思議なうれしい経験だった。
学校で茶道を楽しんだ帰りには、彼は、「あの茶道は、日本におけるenjoy lifeを凝縮したものだ。身の回りの対象に興味を集中し、日常の生活の中に美と楽しみを見つけるenjoy lifeを凝縮・洗練したものが茶道ではないか。」というようなことを語った。「器も、鉄瓶も、生け花も、お菓子も、ナツメも、部屋の雰囲気も、人々も皆美しい。」と言った。そして、「ユウスケは茶道が好きか?」と聞いてきた。私は、茶道には関心が無かったが、それまでに調子に乗って、何度も「I think so.」を連発していたので、「I like tea ceremony,too.」と答えざるを得なかった。
『Enjoy life』に、『馬鹿騒ぎ』しか連想できなかった自分が恥ずかしかった。我々日本人が、忘れかけていることを指摘されたような気がして、恥ずかしかった。忘れかけていた『Enjoy
life』の本当の意味を教えてもらって、うれしかった。そして、その通りに生活を楽しんでいる人(Chris)を目の当りにして、感激した。私は「君の言うEnjoy lifeの本当の意味が理解できた。日常の生活の中に楽しみを見いだそうとしている君の生き方に魅かれる。」とカタコトの英語で言って、大声で「Oh.I think so.You are a good friend!」と叫んだ。
5.Travel is education.
彼は、日本に来たのは3度目だと言った。ヨーロッパには3回、アメリカには2回旅行したと言った。12月にはロシアへ行く計画があると言った。高校生の時、両親は、オーストラリア一周の旅に連れていってくれたと言った。「How long・・・・」と聞いたら、「six weeks」と答えた。私たちが「six weeks!」と聞き返して驚いていると、「オーストラリアでは、人々は、旅行は教育だと考えている。」と付け加えた。
我国では、旅行は遊びのように考えていて、教育とは机の上で教科書を使って行なわれるべきものと考えられているが、オーストラリアでは、教育の範疇をもっと広く考えているようで興味のある話だった。我国の教育の方法は、ほとんどが『only chalk and talking』になっていて、あまりにも
固定化されていると思った。もっと多様な教育方法を考えるべきだと思った。
そこで彼の教育観を聞いてみたくなり、「君は、教育についてどんなことを考えているのか?」と聞いてみた。彼は「私は芸術の教師だが、生徒に絵画の描き方を教えようとはしていない。彼らが美の真価を認められるようにしたいのだ。」と答えた。「生徒が美の真価を認められるようにしたい。」彼らしい印象的な言葉だった。
これまでの英語が全てすらすらと理解できたわけではない。何度も「once more」と「speak slowly」を繰り返して、時には辞書を引いて、やっと理解(?そのように答えただろうと理解しているのだが)できたと思っているだけなのである。
彼は「appreciate」と言う言葉をよく使った。初めて使ったのは私の盆栽を見たときである。盆栽を見るなり「Beautiful! I appreciate bonsai highly.」と言った。何度聞き返しても分からなかったので、辞書を引いたら、「appreciate=真価を認める」と書いてあった。私の盆栽を見て、「pretty!」とか「beautiful!」とか表現した人はたくさんいたが、「appreciate(真価を認める)!」と表現してくれた人は初めてだった。盆栽の真価(美)を評価してくれる人に出会えた気がしてうれしかった。『盆栽の分かる同志』に出会ったような気分だった。『appreciate』
よい単語だと思った。私の最も好きな単語になった。
6.gentleとは? 
彼は正真正銘のgentlemanであった。
普段着のジーパン姿も格好よかったが、ネクタイにスーツ姿もgentlemanであった。食事の作法も、スタイルも、洋画のスターのようだった。食事を終えると、食べた食器を流し台へ運ぶのだった。
私たちは、彼が我が家へ来る前から、「In my home. Women cook the supper.We(you and I)mustwash all dishes.」という英語を練習していたが、言う機会が無かった。言わなくても、彼は当たり前のように自分から運んだからである。他に練習していた「Clean your room yourself.」も「Wash your clothes.」も言う機会が無かった。
妻の節子が仕事のために帰りの遅い日があった。その日には、彼が「オーストラリア風ピザを作って食べさせたい。」と張り切った。マッシュルーム、玉葱、ピーマン、セラミソーセージ、セラミチーズ、その他にたくさんの材料を乗せて、何種類もの香辛料を降りかけて、芸術品のようなピザを作った。その手つきはまるでプロのコックのようだった。残った材料をお皿に乗せてラップをかけて、使った鍋や包丁までも洗って、拭いて、流し場の掃除を済ませて、やっと彼の料理が終わった。食卓で待っていた私たちは、『本物のgentlemanの料理』はこうあるべきだと感心した。
スーパーへ買い物に連れていくと、「I am a porter.」とおどけて言いながら、全ての買い物を運んだ。手ぶらの私は、彼に、先を越されたような変な気分だった。
夜、ハムレットの話になった。彼はサラサラサラとSHAKESPEAREとWORDS WORTHの詩の一節を書き出した。妻の節子が読むのをうなずきながら聞き終えると、ゆっくりと内容を説明してくれた。私たちが、「読んでほしい」と頼むと、彼は落ち着いた声で朗読を始めた。それは上等な音楽を聞いているようで美しかった。まるで言葉を超えて私たちの心に深く染みてくるようだった。私たちは、もう一度朗読してくれるように頼んだ。
文学の素養においても彼は完璧なgentlemanだった。
彼は、kitchenで食事の準備をしている妻に、たびたび「Setsuko.Help you?」と問いかけた。話に夢中になっていると、時々
「Yusuke
.Interesting?」「Setsuko.
Tired?」「Akemi. Sleepy?」と聞いた。「Yes Interesting」と答えるとまた話を続けるのだった。「tired」とか「sleepy」と答えると、すぐに話をやめて、その日の楽しかったことのお礼(感謝の言葉)を述べて床につくのだった。朝、晩の挨拶においても、彼は完璧なgentlemanであった。
何事についても、「Do you like ・・・」と聞いた。君は好きかと、まず相手の気持ちを聞くのである。彼のgentlenessは、相手の立場や気持ちを尊重することから生まれてくるようだった。『gentle』を英英辞書で引いたら、『喜んで他人に親切な・・・』と書いてあった。彼は辞書にあるように、無理せず、自然に、喜んで相手の立場を尊重できる人のように見えた。彼は外見だけでなく心の中もgentlemanだった。
私たちは、gentlenessは、相手の立場や気持ちを徹底して尊重することから生まれてくるものだということを学んだ。そして、私たちは、いつの間にか彼が大好きになっていた。それで、私たちは、彼と何度も『好きにならずにいられない(can’t help falling in love)』という歌を合唱した。彼は、「人が美しいと見えることは、人生にとって重要なことだ。」と言ったが、私は「人を好きに思えることは、人生にとって重要なことだ。」と考えていた。同じことを考えていたのかも知れないと思っている。
私自身は、彼のgentlenessにすこし感化されたような気がしている。しかし、自分の立場に立ってkindに振舞うことは易しいが、相手の立場に立った本物のgentlemanになることは難しい。とてもなれそうもない。
7.楽しい思い出
この文章を書いていたら、妻の節子が、「楽しい思い出も書いておいてほしい」と言う。それでこの章を書き足すことにした。彼女は、「この10日間の楽しさは、1年間の楽しさよりも大きかった。」と言う。このような言い方までChris風になってきたところをみると、どうやら我がfamilyは感化され易いのかも知れないと思う。そういえば、この頃の我が家の朝の挨拶は、クリスをまねて、「Setsukoお元気ですか?」「Yusukeお元気ですか?」「Akemiお元気ですか?」になってきている。
酒パーティー(10月4日)
3日目の夜、私たちは、彼を『日本の銘酒を楽しむ会』に連れ出した。
外人で背が高くて目立つ彼は、パーティーの主催者から、突然に乾杯の役を頼まれた。恥ずかしそうに舞台に上った彼は「ワタシノナマエハ クリスアップルビイーデス。オーストラリアカラキマシタ。I love Japan.Ilove Fukui.I love Sake.カンパイ!」と挨拶した。 礼儀正しく、笑顔を絶やさない彼は、どこのテーブルでも人気者だった。横に付いている私を通訳だと勘違いした人々は、あちこちから「背の高さは?」「年齢は?」「独身か?」「いつから福井に来たのか?」「職業は?」「日本の女性をどう思うか?」・・・聞いてほしいと言ってきた。みんな練習していた質問ばかりなので、通訳気取りでいい気になって話していたら、だんだん質問がエスカレートしてきた。向こうのテーブルで話を聞いていたオバサンがやってきて、「私の娘が外人と結婚したがっているので、一度会ってくれないか。」と伝えてほしいと言ってきた。私は、「She
says.She wants you marry her daughter.」と訳した。彼は一瞬びっくりした表情を浮かべて、「propose?」と聞き返した。「yes」と答えると、困った顔をしたので、慌てて「in joke.in joke.」と繰り返した。
私の英語力はこの程度である。難しい表現も知っている範囲の単語と構文に直して話していた。それでも結構何でも、お互いに通じていたように思う。そのうちに、私があまりにも簡単な英語でたどたどしく話をしていることに気づいた何人かの人々は、だんだん大胆になってきた。何人かの人が、たどたどしい『Broken English』で話すようになってきたのである。中学校英語があれば大抵のことが通じるものだと変な自信を持ってしまった。
私に変な自信を持たせてくれた陰の仕掛け人がもう一人いた。K先生である。私は昔から、英語力もなかったが、特にきれいな発音ができなくて劣等感を持っていた。それで、私が英語で発音すると笑われることを打ち明けたら、K先生は、「私たちはイギリス人ではないので、イギリス人のような発音はできなくてもいいのです。フイリッピン人はフイリッピン人の英語を、日本人は日本人の英語を話せばいいのです。最も大事なことは、英語は言葉なのだから通じることです。」と慰めてくれた。「日本人は日本人の英語を・・・」私には都合のよい納得できる話だった。それならば、福井弁の英語でもいいはずだと変に自信がついてしまったのである。
すき焼きパーティー(10月5日)
次の日には、妻の両親を招待して、すき焼きをした。Chrisは、「すき焼きは有名だから聞いてはいたが、こうして食べるのは初めてだ。Beautiful!」と言って喜んでくれた。そして、「オーストラリアへ帰ったら、両親に作って食べさせたいから・・」と言って、材料やら作り方を細かくメモしていた。 彼は、年寄りにも親切だった。おじいちゃんがオーストラリア旅行をした時の話をすると、彼は、一言ずつ大きくうなずきながら聞いてくれた。おばあちゃんが、「サンキュウ」と言うと、「Good、発音がいい。」と誉めてくれた。私たちが発音すると、「Bad」の連続なのに、おばあちゃんが発音すると全てが「Perfect!」「サンキュウの発音ナンバーワンチャンピオン!」になってしまうのである。こうして、おじいちゃんとおばあちゃんにとっても生まれて初めての英語での会話が実現したわけである。
宮崎陶芸村(10月6日)
6日の日曜日には、ChrisとK先生と私の3人で宮崎陶芸村へ出かけた。Chrisが、越前古窯に関心があると言ったので、陶芸館を見学する予定で行ったが、作陶に思わぬ時間がかかってしまい、見学できなかった。それでも、越前焼きのおみやげを買うことができて満足してくれた。
作陶では、Chrisはアボリジニ(オーストラリア原住民)の模様でデザインされたオチョコを作ってくれた。K先生は、一度にたくさん飲めるように考えてか、巨大な酒杯を何個も作った。私は、盆栽の鉢を作った。彼は、私たちの作品にもデザインしてくれた。まだできあがってこないが、アボリジニの模様でデザインされたあのオチョコで、酒を飲みたいと楽しみにしている。
寿司パーティー(10月7日)
もう一人の引率者であるMrs Kyla Palmerと友人達を呼んで寿司パーティーをした。デザートにぶどうの巨峰を出したら、「オーストラリアにはこんなに大きなgrapeはない、なんと言う名前のgrapeか?」と聞いた。そこでK先生が、冗談で「それはキャッホーという名前だ。」と叫んでみせて教えた。彼がそのキャッホーをうまく発音できないので、面白くて、私たちは何度も叫ばせて(発音のコーチをして)笑い楽しんだ。私は、毎晩、彼から発音のコーチをしてもらっていて、「bad!bad!」と言われ続けていたので、この時とばかり、彼の「キャッホー」に「bad!bad!」を連発した。
次の日の『しの笛の夜の会』でも、デザートに巨峰が出たので、冗談で「これの名前は」と彼に聞いて「キャッホー」と叫ばせて笑った。彼が「キャッホー」と叫ぶと周りの人が笑い出すので、不思議に思っていた彼は、「私がキャッホーと言うと皆が驚いたり笑ったりするのはなぜか。」と、次の日の夜、聞いてきた。私たちがニヤニヤしていて答えないでいると、彼は、真剣な表情で 「Explain. Explain=説明せよ」と迫ってきた。そこで仕方なく、「冗談でK先生がキャッホーと教えたのだ。正しい名前はキョホウだ。」と白状した。
それを聞いた彼は、「明日、K先生に冗談のお返しをしたい。」と言い出した。私たちは、夜中に巨峰を買いに行き、次の日の仕返しの計画を立てた。
次の日に、巨峰を持ってk先生に近づいた彼は、「スミマセン Kセンセイコレハナントイウナマエデスカ?」と聞いた。計画を察知したK先生は「Excuse me. Excuse
me.」を連発した。そこで彼は、K先生をにらみながら「ウソヲツイタラアカンガノウ〜〜〜」と叫んだのだった。
彼はユーモアを楽しむ達人でもあった。
しの笛の夜(10月8日)
酒パーティの会場で、私の友人のSさんTさんコンビに会った。彼女らも彼を気に入ってくれて、Tさんの家へ招待してくれた。Chrisと通訳係のsさんと妻と私の4人で出かけた。
贅沢な銘酒と味わい深い器とおいしい料理を囲んで、時間を忘れてしまうような集いであった。集いの終わり頃、部屋の明かりを落として、Sさんが、しの笛で『宵待草』を演奏してくれた。彼女の情感がひしひしと伝わってきた。通訳係のsさんには『月明かりの情景』が浮かんできたそうである。私には 『夕暮れの森の中の木漏れ日』が見えた。妻は「まさしく幽玄の世界だった。素敵な人たちと出会えてうれしかった。」と言う。Chrisは、この日のお休み前の挨拶で「今日のパーティは、生涯忘れることができないような印象深いパーティだった。あなたの素敵な友人に出会えたことを心から感謝している。」と言ってベッドについた。
こうして、『しの笛の夜』は、Chrisにとって忘れられない夜になっただけではなくて、私たちにとっても忘れられない夜になった。
贈る言葉(10月9日)
別れの日が近づいてきたので、この日、私たちは、お互いに『贈る言葉』を書いた。私は、次のような言葉を書いた。
妻は、こんな言葉を贈った。
Chrisはこんな言葉を贈ってくれた。
Dont say sayanara.(10月10日)
この日は、西洋邸へ食事に行った。この日も、時間を忘れて話が弾んだ。 彼は、ホームスティの初日から毎日のように、私たちをオーストラリアへ誘ってくれた。特に、この日は強く誘ってくれた。オーストラリアへ来てくれたらこんなところを案内したいと、一つ一つ紙に書いて説明してくれた。毎日説明してくれるので案内してくれるところがだんだん増えてきて、15カ所にもなってきていた。「あなた達は、すぐにでも、オーストラリアへ来なければいけない、だからお別れの時には、 Dont say 『sayonara』Please say『See you later』.」と何度も繰り返した。
私たちにとって、オーストラリアは、つい先日まで、地図の上でしか知らない国だった。だから、そのオーストラリアへ行きたいなどとは考えたこともなかったが、この頃では、なんだか行ってみたい気持ちになってきていた。その上、彼の好意があまりにもよく分かったので、ついつい「We hope
to visit your
country.We will
do our best.」と約束してしまった。この答えに、彼は、何度も頷いて、やっと満足してくれた様に見えた。
彼は、食事に出てくる皿やコーヒーカップに至るまで、いちいち鑑賞していた。私たちが、コーヒーカップを毎日変えて出していたこともすべて気がついていて、「あなた達と私は、食器や家具の好みから、美の感じ方や、人生の考え方に至るまで似ている。」と言ってくれた。私は、彼と一緒にいると、自然にEnjoy Lifeができるような気がした。妻の節子は、「あの時、 『You and your family are same taste.』と言ってくれたことがとてもうれしかった。」そうである。
このようにして、ついこの間まではまったく知らなかった人間同志が親しい友人になれて、私たちは本当にうれしかった。生まれて初めての貴重な経験だった。
お別れパーティー(10月11日) 
学校で『お別れパーティー』があった。娘のAkemiは39度も熱があったが注射をうって参加したそうである。Chrisとの最後のパーティーになるので、どうしても参加したかったのだろうと思う。この頃には私たちのfamilyは、みんなChris fanになってしまっていた。それで、パーテイーでは、私たちは、Chrisと一緒に『好きにならずにいられない(can’t help falling in love)』を合唱した。
パーティーでは、マリスト校の生徒や先生達が、次々と感謝のスピーチを述べた。どのスピーチも、心からの感謝の気持ちが伺えて暖かい思いがした。
一人一人のスピーチを聞きながら、私たちの方も感謝していることをどうしても伝えたくなってきた。そんな気持ちになったのは、私だけではなかった。私の両隣にいたホストのお母さん達も同じ気持ちだった。それで、予定にはなかったが、飛び入りで私のスピーチをさせてもらった。
「先ほど、マリストの皆さんから感謝の言葉を述べていただきまして、大変うれしく思いました。ホストは大変でなかったと言うと嘘になりますが、私たちが、マリストの皆さんから得たもの、いただいたものも大きかったと思っています。これは私一人の気持ちではなくて、ホストの家族皆さんの気持ちだろうと思います。ですから私たちもマリストの皆さんにお礼を言いたい気持ちでいっぱいです。マリストの皆さん本当にありがとうございました。」とスピーチした。
homestayでは、host familyが一方的にお世話をするだけ(Give)ではなくて、hostが得られるもの(Take)も大きいと考えていたので、そんなことも具体的に言いたかったが、スピーチは短いほどいいと思っていたので言わなかった。homestayは『GIVE ANDTAKE』だと考えている。homestayの最も重要な意義は『GIVEAND TAKE』にあるのだろうと考えている。だから、homestayではお互いに『GIVE AND TAKE』になるように努力すべきだろうと考えている。この意味でも、Chrisは、homestayの達人だった。 スピーチを終えてから、日本語では、マリストの皆さんに十分に伝わらなかったことに気がついた。こんなことなら、簡単な英語のスピーチを準備しておくべきだったと悔やまれた。
そんなことを悔やんでいたら、私の悔やみが通じたかのように、K先生は、閉会の挨拶で、私のスピーチを流暢な英語に通訳して紹介してくれた。本当にありがたくうれしかった。
帰りの車の中で、Chrisは「今日は、君のスピーチに感激した。引率者の kylaも感激していた。」と誉めてくれた。私はいつでも誉められたときには素直に受け入れることにしているので、何度も「THANK YOU!THANK YOU!」と頷いた。彼は、どんな場合でも、長所を見つけて誉めることのできる『誉めの達人』でもあった。
8.足羽高校の優位性
私達は、最近、少しずつであるが、英語の勉強を始めている。と言ってもそんなに格好のいいものではなくて、『中学校英語の復習』をテキストにして、毎日、一課ずつ読んでいるだけなのである。当面はまず、『英検三級』合格を目標にしている。いつか、Chrisを訪ねた時に、もっと英語で自由に話をしたいと考えているからである。先日は、Chrisに、生まれて初めて英語で手紙を書いた。今日、英語の先生に見てもらったら、8か所も間違っていた。 こうして書いてみると、現在完了進行形とか動名詞とか文法にも関心が広がってくる。また、辞書を引いてみると、英和辞書よりも英英辞書のほうが詳しくて面白いことを発見したりして、だんだん興味が深くなってくる。これまで、英語に関心を持ったことは一度もなかったし、ついこの間までは、私が英語を学習したくなるなどとは想像もしたことがなかったので、こうして英語に意欲を持てるようになった自分に驚いている。
学習の元になっている『意欲や関心』は、自然に湧き出てくるものではなくて、『目標や価値観』と深く関わっていることをつくづく実感している。いつかChrisともっと自由に話がしてみたいという『私の中の現実的必要性』が学習意欲の源泉になっているわけである。人は、この『現実的必要性』の中でこそ、自然に自ら学習すると言われているが、そのことを実感を伴って経験している。
今や学校での『学習』は、『受験のため、点数のため、競争のため・・・』になってしまっているが、そのことが『学習』を『苦役』にしている最大の原因だと考えられる。動物(人)は、『意味の分からない詰め込み』によって、受動的になり、その受動的な習性によって、ある時点から、能力そのものも後退していくと言われているが、そのような兆候が学校教育の場面でも現れてきているように思われる。
本来、全ての学習は、『現実的必要性』を土台にして進められるべきだと考えられる。『現実的必要性』を認識させながら、あるいは『現実的な媒介物』を通して学習を進めるならば、もっと能動的に自ら学ぶことが可能になるはずである。特に、語学は、人と人を繋ぐ道具であるから、心を通わせた生の経験と通わせたいという意欲を土台にしてこそ、本物の語学教育が成り立つものだろうと考えられる。
このような考えに立って、生徒に、私が感じているような『目標と価値観』や『現実的必要性』を持たせることが出来るならば、英語はどんなにか楽しい学習になることだろうと思う。そういう意味で、本校で行なわれている『Home stay』や『国際交流活動』は重要な意義を持っていると考えるようになった。学校における『国際交流活動』をそのように位置づけて、その意義が実現できるように取り組むことが重要だと考えている。
実際に、本校では、英語コースの語学研修は、ホームスティーによる語学研修を行なっている。それは、ホテルに泊まるよりも費用がかからないからではなくて、ホームスティーそのものに重要な教育上の意義を考えているからだろうと思う。1、2年生の英語教育をホームスティーによる語学研修に焦点を据えて、このホームスティーの重要な意義と大きな可能性を実践的に追求すべきだと考えている。ホームスティーは、前述のような教育上の重要な意義と大きな可能性を内包しているように考えられる。
本校の特色は、国際科のある普通科高校であると言われているが、そのことは制度上だけの特色である。この制度上の条件を活用して、生徒にその『現実的必要性』を自覚させることが出来た時にこそ、その特色を内容的にも豊かに発展させられるのではないだろうか。このように、受験教育に頼らなくても、本物の語学教育が展開できる条件こそが本校の優位性ではないだろうか。
『Home stay』や『国際交流活動』を土台にした外国語教育の展開こそが、国際科を持っている高校の目指す方向(特色)ではないだろうか。
Chrisは『Travel is education.』と言ったが、私は『Homestay is education.』と言いたい。
私たちが、このホストを引き受ける時、大阪の友人(彼は10年以上も前からホームスティー活動をしている)は、「ホームスティーは楽しいし、必ず発見がある。」と言った。その通り、楽しかったし、いくつもの大きな発見があった。
別れの際に、彼は、日本語で「カナラズ、オーストラリアヘキテクダサイ。タノシミニシテマッテイマス。」と言って、手をグッと強く握った。私は、英語で「I will do my
best.」と答えた。今、考えると、外人のChrisが日本語を話し、日本人の私が英語で答えていたのだから、奇妙な光景だったと思う。
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