「深坂古道」と「山門水源の森」を訪ねて 滋賀県

主催:福井くろゆりクラブ  後援:福井県山岳連盟

2010.4.18  晴れ 48名

昨年の「馬借街道」が良かったので、今年も参加を希望。ところが山の会では有志だけでだが、薙刀山に行くと言う。
え〜!そんなあ!私も行きたいのに・・・と言ってもペアで参加希望してあるので私だけ欠席に出来ない。
相棒は一人では行ってくれない人なのです。
珍しく快晴のこの日に山頂からの写真撮りたかった・・・

朝7時頃福井を一般公募の私たちも含めて総勢48名はバス1台でスタート、歴史に基づいた山歩きを目指しているくろゆりクラブ、県山岳会会長・牧野氏に随所で説明を受けて少し賢くなって(?)歩いたのです。
3班に分かれまずは「山門水源の森」 の散策。
滋賀県北部の里山に囲まれた湿原で琵琶湖の大切な水源となっているらしい。入り口には森の楽舎(まなびや)があり、水源の森について学ぶ事が出来ます。係りの方が貴重な「ミツガシワ」の手入れをしておられました。
コースはいろいろあるのだが、予定の四季の森コースはぬかるんでいるとのことで、途中の展望台などから湿原を眺めて戻りました。

      

起源が三万年前

何か見える?

クロモジ

イワナシ

           

杉より檜が多い地方ですが、この森の中には寒冷地を好むブナと温暖な気候を好むアカガシが同居する珍しい地域とのこと。
少しアップダウンがあり、準備運動になりましたね。
次はバスは南下して大浦から奥琵琶湖の桜並木を眺めながら菅浦へ。対岸には海津大崎の桜並木も見え、思いがけず桜を満喫♪菅浦の集落は歴史の里で昔は徒歩か船でしか移動する手段が無かったそうです。集落の入り口に四足門、ここを抜け須賀神社に参拝。氏子は崇拝の念が深く境内には素足で参拝するとの事で、我々も裸足になって石段を踏みしめて来ました。
ヒヤッと足の裏が冷たく心地よいのですが、上で小石のバラバラあるところではさすが痛くてひ弱な現代人と言ったところでしょうか。戻って集落を通りもう一つ端の四足門を抜け、琵琶湖のひたひたと打ち寄せる水音を聞きながら行くと、朝日山への登山口があります。葛籠尾崎(つづらお)の先端にあり高さ293.1M、竹生島展望の出来る所です。最初は急登ですがジグザグに路は切ってあり20分ほど頑張ると水平道になりました。

静かな湖面

四足門

須賀神社 長い参道

ここから裸足で

気持ちの良い湖畔

急坂が続きます
今日の晴天、きっと薙刀に向かった仲間たちも大展望に歓声を上げている頃だろうか〜とか、日岸に向かっただろうか、野伏に回っただろうかとか、一日中半分心は向こうに(-_-;)
やがて我々は三角点のある頂上に着き昼食タイム。竹生島方向には伐採されているので、琵琶湖を眺めながらと行きたいところだが大勢の人で、私たちは少々藪の中に入って場所を確保。他のツアー客も増えて大賑わいです。
帰りは水平道から下に降りる分岐を戻らないでそのまま進み、奥琵琶湖パークウェイに出てつづら尾崎展望台で待つバスまで移動しました。日曜とあって沢山の車、桜は少し散りかけたかなという程度で充分楽しめるとあって人出も多いのでしょう。伊吹山から湖北の町まで綺麗に眺められて、今回私は初めての所ばかりで違った角度からいろいろ眺められて楽しかったです。
バスに乗り込み今度は奥琵琶湖水の駅でボランティア・ガイドの方から「塩津海道」についてのお話を聞きました。塩津は平安時代から北陸から都への物資を運ぶ湖上交通の中継地点として栄えたそうです。敦賀ー深坂ー沓掛ー塩津浜 この海道の深坂古道が今日最後のコースです。

竹生島

奥琵琶湖パークウェイの先端に出ました

菅浦の集落が見えます

伊吹山

深坂地蔵への道

深坂地蔵
八号線を北上して近江鶴が丘を左折、バスを降り深坂地蔵参道をしばらく歩くといわれのあるお地蔵様を祭ってあるお堂に出ます。ここで休んで、いよいよ古道に入るのですが余り詳しい案内が無くてわかりづらいかも。
ここはかの紫式部が1.000年前父親・藤原為時の越前府中赴任に伴って峠越え(370M)をしたという歴史ある道なのです。峠には古道の説明文があり、ここから福井県敦賀市に入ります。紫式部は輿に乗ってだろうか、馬だったのだろうかなどと話しながら行くと、やっと当時の峠越えの大変さを詠んだ歌碑が立てられていましたが、あとは歴史を感じるものはあまり無かったような・・・
道は手入れされており、歩きやすくどんどん進み疋田の集落に出ました。バスはJR新疋田駅前で待っており、予定に無かったつづらお崎のウォークを入れても予定通りの帰宅となりました。くろゆりクラブの皆さん有難うございました。
48名ともなるといろいろあるでしょう。
本当にお疲れ様でした。

深坂峠

    

歌碑