饂飩の歴史

イ、日本の饂飩のルーツは五島饂飩

 饂飩のルーツは奈良時代、遣唐使によって中国から伝えられた索餅(さくへい)だと言われている。油を使わないが、製麺方法は手延べ素麺づくりに近似してたと想像されている。今の素麺とは違い縄状であったらしい。船崎饂飩は、椿油を塗りこむものの、今なおこの製麺方法の流れを受け継いでいる。   日本の饂飩発祥の地は上五島町ではないか。上五島町教育長は平成十三年、中国に船崎饂飩のルーツを求めたところ、浙江省温州市近郊の永嘉県で「岩坦索麺」を発見。製法を見ると、船崎と全く同じ。ただ、岩坦索麺は麺同士がくっつかないように米の粉をつかう。製法はこれだけの違いだ。当の浙江省には、遣唐使の上陸地もあり、運命の赤い糸を感じざるをえない。『うどん博士』と異名を取る国学院大学の加藤有次教授も「日本のうどんのルーツは五島饂飩」と言っている。
 ところうで讃岐饂飩など、小麦粉を練って平らに伸ばし、折りたたんで切る饂飩のルーツは、室町時代に中国から伝えられた混沌(こんとん)だと言われている。混沌とは、ワンタンのようなものを言う。

ロ、五島列島を発祥とする麺食文化の系統

 稲庭饂飩、輪島素麺、氷見饂飩、大門素麺など、日本海側には、船崎饂飩と似た製法でつくられる饂飩づくりの文化が継承されている。これらは、江戸時代の北前船で五島饂飩の製法が伝えられ広まったものと言われている。中国から上五島へ、そして上五島から日本海側の各地へ。饂飩文化の伝播に広大な浪漫を感じざるを得ません。

 

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