撮影日 1987年〜1989年
福井県立羽水高等学校山岳部 (山岳部室前にて…高2)
 中学までは野球一筋にやってきて、何度も肩や肘も痛めてきた。羽水高校に入学し野球部に仮入部はしたのだが、甲子園は無理だろうと感じ、色々と検討したがWF部(ワンダーフォーゲル)の門を叩く。幼少から父親と山菜採りなどで山に入ったり、また登山については遠足や町内催しなどで経験あったので親しみはあった。
 当時は2年生の在籍がなく3年生が4〜5人の廃部寸前の状態だった…。新入部員は自分も含め男女10人程だったが大半は名前だけの幽霊部員…辞めていく者もいた。先輩達と山に登ったのは歓迎登山の浄法寺山1回のみでしたが、楽しかったのは今でも覚えている。轟駅からキャンプ場まで重くてデカいザックを担がされ林道を歩いた。初めてテントを設営した。料理しみんなで騒いだ。ビールの美味さを知ったのもこの時から♪?
 3年生は夏で終わり。自分がこの山岳部の部長任務になる。それまで競技登山の存在すら知らなく、無謀でしたが秋の新人戦と県大会にエントリー。地図も持たず遠足気分?装備もスニーカーにジーパンのスタイルで全くの無知。周りの常連校を見て圧巻してました。それから装備も揃えだし、技術に関しては独学で勉強。天気図は地学の先生から教えてもらったり、医療は保健の先生、炊事やカロリーは学食のおばちゃんだったり!
 2年目からはWF部から山岳部に改名し、県内の大会はすべて出場した。後輩も増え20人以上、3年目には部員50人以上にもなり体育部としては校内で1番の在籍人数を抱えるようになりましたぁ♪
 県下でも強豪校となった我が羽水高山岳部!少しですが当時の活動や写真など掲載しました。

競技登山の審査内容について
@体力
 何と言っても、イチに体力!大会だと重量検査では1パーティ(4人)で60s以上の荷を担いで2〜4日の山行を行わなければならない。※実際は1人20s前後がほとんど!
 隊行動ではパーティ遅れや間隔が開いたり隊離脱するともちろん減点。
 特区間というものがあり、決められた区間を いかに早くメンバー全員が歩き通すかを競うタイムトライアルがある。総体予選では中飯場〜甚ノ助が特区間でした。
A歩行技術
 隊行動中にスリップ・転倒・落石をさせた場合や、危険な場所でパーティ内で声を掛け合うなど協力し合っての安全確認を怠った場合などは減点。
B装備
 必要品の所持、共同携行品と個人携行品がある。服装や靴も審査対象。パッキング,携行品の破損等については減点。
 共同携行品・・・テント一式(フライを含む),ツェルト,全体食料,炊事用具一式,コンロ,燃料,ラジオ,温度計,医薬品,予備食,修理具,裁縫用具など
 個人携行品・・・雨具,防寒具,寝袋,着替一式,水筒,食器類,細引,ヘッドランプ,予備電池,予備電球,登山計画書,記録帳,地図,磁石,時計,筆記具,ナイフ,呼笛,手袋,マッチ,ライター,非常食,行動食,ザック,ザックカバー,サブザックなど
C設営・撤収
 時間内にテント設営・撤収を行う。設営では完成度、撤収では片づけ・清掃・整地も審査
D炊事
 炊事が衛生的に,計画通りに行われているかの審査。献立の工夫やカロリー計算、道具など正しく使用しているか、調理の手順や手慣までも審査される。
E気象
 ラジオの気象通報を聞いて天気図の作成。大会中は1回だけ。
F読図
 隊行動中ではコンパスを用いて地点確認。ペーパーテストでは読図として地形・植生等に関する基礎的知識の設問がある。
G計画・記録
 大会前までに作成し、行動計画書を提出。下山後は記録帳を提出する。
 行動計画書…メンバー表(氏名・生年月日・住所・血液型・係り・保護者・電話),緊急連絡先(留守本部・現地本部・責任者・電話),行動表,日程表,概念図・断面図(主要地点名・ピーク・ルートの記載),装備表(共同・個人分担表・重量),食料計画(献立・カロリー・重量・分担・予備食),医薬品リスト・使用法・救急処置法,利用交通機関など
 記録書…出発,休息,到着等時間の記入,主要地点の通過時間,主要ピークの標高,コースの概況,植生などの自然観察,観天望気,メンバーの体調,指示,伝達の記入など
H救急
 必要な医薬品の所持と適切な取り扱い。ペーパーテストと実地がある。
Iマナー
 集合・出発・就寝・起床について時間厳守。隊行動中などリーダーの指示が適切かどうか。チーム内の協調性。休息時のザックの位置,マナーを守る。スタンドプレー的な行為をしない。ごみ処理を適切にする。自然保護に気を配る。
【白山】
白山・御前峰に初登頂した当時の自分
<1988年:高2の春・大会前下見>
初めての白山は残雪期でした
<1988年:高2の春・大会前下見>
初の総体予選♪雨の中、別当出合で重量検査と雨具を装備中
<1988年:高2の初夏・総体予選大会中>
室堂・白山荘に初めて宿泊
<1988年:高2の初夏・総体予選大会中>
宿泊中の室堂・白山荘。ランタン灯して何やってたんだろ?
<1988年:高2の初夏・総体予選大会中>
終始雨だった総体予選!大会も終え市ノ瀬ビジターセンターにて
<1988年:高2の初夏・総体予選大会中>
キャンプサイトは石川県大会のため使えず、
市ノ瀬ビジターセンターの中で宿泊
<1988年:高2の初夏・総体予選大会中>
当時の市ノ瀬ビジターセンターの前で記念撮影☆
羽水高・科技高・大野高・大野工・他
 <1988年:高2の初夏・総体予選大会中>
当時の山川と自分
<198?年:高2か高3の時>
白山室堂にて
<1989年:高3の春・大会前下見>
女子も含む4隊がエントリーするため下見にも入念
<1989年:高3の春・大会前下見>
甚ノ助避難小屋の前で
<1989年:高3の春・大会前下見>
白山で初めて御来光をGET
<1989年:高3の春・総体予選大会中>
総体予選の最終日。市ノ瀬のキャンプサイト
<1989年:高3の春・総体予選大会中>
いつも科技高と勝山高の面々とは仲が良かった
<1989年:高3の春・総体予選大会中>
インターハイ出場獲得!女子は北信越大会出場を獲得した
<1989年:高3の春・総体予選大会中>

【第33回全国高等学校総合体育大会=インターハイ 登山競技大会 平成元年8月2日〜5日】
 高校総体においては、競技の一環として登山を取り入れている。体力や装備、あるいは天気図に関する技能・知識や、高山植物、応急処置の方法等を点数として、審査員がそれらの達成度を計数し、高校ごとに順位を決定する。隊列に遅れず登頂を目指すのも体力点として高得点ではあるが、他にもマナーや態度、知識や服装等にも気を遣う必要がある。4日間をテントで過ごし、食事も寝床もすべて自分達で持ち歩き準備しなければならない登山競技は、インターハイにおいては最も厳しい競技のひとつである。更に、地方大会では実力の優劣をはっきりとさせるために重量規制があり、現段階では4人で60kgと言う規定がある。その60kgに、飲料として使用する分の水、怪我の治療などとして使用するために綺麗な水などを要するため、実質70kgにも75kgにも及ぶことなどが多々あるという。【Wikipediaより】
C隊の予定ルート
初日目━━━ 2日目━━━ 3日目━━━ 最終日━━━
初日目)
遠登志--東平--角石原幕営地
2日目)
角石原幕営地--銅山越--別子銅山--ダイヤモンド水広場--銅山越--大坂屋敷跡--ちち山の分かれ--【笹ヶ峰 1859.5m】--笹ヶ峰幕営地
3日目)
笹ヶ峰幕営地--【笹ヶ峰 1859.5m】--【寒風山 1763m】--【伊予富士 1756m】--【東黒森 1735m】--【自念子ノ頭 1701.5m】--【西黒森 1861m】--【瓶ヶ森 1896.2m】--瓶ヶ森幕営地
最終日)
瓶ヶ森幕営地--【子持権現山 1677m】--【伊吹山 1502.8m】--【岩黒山 1745.6m】--【鶴ノ子ノ頭 1637.1m】--【石鎚山 1982m】--成就--下谷
の、予定でしたが…大会中に台風襲来!
 初日は予定通り遠登志から出発!しかし、初日の深夜から台風直撃のため、翌日身動き出来ず角石原幕営地で停滞!
昼から雨も弱まるがA隊B隊は完全停泊の中、我がC隊だけはサブザックにての別子銅山巡りが行われた。
3日目も悪天の中、角石原幕営地から再出発。笹ヶ峰幕営地まで達するが、翌日はこの先の寒風山で大会の行程終了…。
予備食の装備もあるから大会の延長意見もあったけど、隊行動の下山申告決定…!残念!
笹ヶ峰から寒風山を経て、桑瀬峠からトンネルを通過し、国道194号線を下る。川来須を越え、中の池まで歩き閉山式となった。
結局、全隊も台風の影響により大会全行程を行うことが出来なかった。
【ルート】
(Google Earth .kmz file)
←現在工事中…♪
※注意:GPSデータではありません
大会前々日、福井を出発し愛媛県の伊予西条駅に到着
新居浜の白鳥別館で宿泊。食料買い出しなどして大会に備える。
開会式前、控室の廊下にて
インターハイの開会式 <西条高校体育館>
開会式を終えバスで移動。昼から別子銅山記念館を見学し
入山式を行った後、、遠登志から大会開始。1日目は角石原で幕営
2日目の朝、前夜から四国に台風が直撃。行動中止し停滞中…
雲の切れ間からは新居浜の町並夜景が現れる
昼から雨も上がり、サブザックにて別子銅山散策に予定変更
別子銅山で最初に銅が見つかったという歓喜抗。
ダイヤモンド水広場。ここで抜き打ち医療検査があった…。
医療工具はテントに置きっぱなし…もちろん0点評価
角石原幕営地に戻り、2日目が終了する。
こういった食事過程もアイデアやカロリー計算など採点される。
角石原幕営地にて。
3日目も天気不良の中を歩き、笹ヶ峰にようやく辿り着く
笹ヶ峰直下の笹ヶ峰幕営地。この後に天気図作成のテストがあった
最終日は快晴で猛暑!早朝、再び笹ヶ峰まで登り景色を楽しむ
雨続きの大会でしたが4日目にして1番の天気で絶景!
笹ヶ峰頂上からは登る予定であった石鎚山や瓶ヶ森が並ぶ
寒風山。今大会は2日目台風の影響で、A隊、B隊、自分らC隊も
行動距離短縮。自分達C隊はこの寒風山に登り終了となる
寒風山から。眼鏡は我が山岳部の顧問、木谷先生
現在もこのメンバーで山やってます
左手が伊予富士〜!台風さえ無ければこの稜線の奥まで行けたのに
寒風山から桑名峠を経て国道194線に降り、中の池まで歩き大会終了
翌日、閉会式の控え室の前で。以前から交流があった小松高の面々と
班長を囲んで記念撮影☆同じ班だった真岡高と安芸高の面々と

【校内合宿】
 山岳競技には、経験や体力はもちろんだが知識や技術も備えなければいけない。そこで年に1回の校内合宿では調理実習から始まり、テント設営、地図記号や等高線での地形の読図、医療方法や天気図の記入などと、深夜までの勉強会を校内で行いました。
 今ではガスカートリッジにコンロを連結すれば簡単に火を使った料理が出来るが、入部当初は圧力ポンプ式の灯油コンロで大会に出ていたため、道具の取り扱いや原理などの学習や訓練も必要でした…。
野外で明るい内は、テント設営・バッキング・道具扱い・調理など学習
暗くなってからは、校内でコンパスや天気図記入や医療方法など学習

【野外合宿】
 「山岳部は放課後に何をやってるの?」と、よく質問されました…。
 山岳部はもちろん体育会系ですので日頃からトレーニングし体力作りが大事。放課後の部活動は、ほぼ毎日のように近くにある八幡山や足羽山まで走って掛け登った。雨天時にはザックに重りを入れて、校舎内の階段を往復したりしていた。その後は次回の野外合宿の計画を練ったり♪
 現在の小中高は完全土曜休みの週休2日ですが、当時自分らの時代にはまだ土曜が学校休みでなかったので、野外合宿というのは連休を利用して行うか、授業半ドンの土曜昼から活動するしかなかった…。もちろん車なんてないので、頻繁に利用した浄法寺山も轟駅から九頭竜川を渡りキャンプ場まで林道を歩いた…。もう20年前以上にもなる過去…どんなに重いザック担いでも過酷な行程でも疲れ知らずの体力と若さが自分にもあった。
近場なのでよく利用した浄法寺山のキャンプ場
真ん中は自分、左は2年生、右は1年生の部員
浄法寺山の山頂で
冠岳の山頂にて
夜間、隠れてこそこそと学生じゃやっちゃいけないことも…多々?
三ノ峰までの道中、六本檜にて

【無許可登山??】
 学生なので通常、山行をする際には顧問先生と同行しなきゃいけない…。つまり顧問先生の都合が悪いと登山ができない。
でもそんなこと言うてられな〜い!顧問の許可をもらわず内緒で日帰りや1泊登山をちょくちょくやってました♪
1989年春、初めての荒島岳!越美北線が土砂崩れで埋まり不通…
大野駅からは線路上を歩き、勝原駅まで歩く。途中の陸橋
土砂崩れ現場。上に見えるのは国道158号線
勝原駅に着く。
銀嶺荘で許可をもらい芝生広場でテントを張った
晩餐会♪何を作ったのかはもう覚えておりません
2日目の朝、テントを撤収し山頂を目指す
荒島岳の山頂。当時はコンクリートの構造物があった
反射板も山頂付近にあった
小荒島岳から。中出コースを下り、中休からバスに乗った。と思う