「蓮如上人御忌」と御影道中
蓮如上人が吉崎を去られた後、江戸時代には、本願寺が東西に分かれ、お東のご門徒は御山で
上人の御影をかけて二十五日講を営むようになりました。
ところが、その後御山の占有をめぐりお西のご門徒と対立が起こりました。
そうした時期に御影を本山へ預ける事となったのです。
以来毎年、春の「蓮如上人御忌」には別院から本山へ御影をお迎えに行くようになりました。
本山から吉崎へを御下向、吉崎から本山へを御上洛と言う全行程徒歩の御影道中が、
この時から始められました。これは今日まで連綿と続いています。