興    行    寺    案    内
 興行寺は本願寺の末寺にして本願寺第五代宋主綽如上人の三男法印権大僧都周覚玄真を開基とし、今より約五百五十年前の創立なり。周覚は北陸門徒の切なる望みによりて越前に化を布き、始めは志比の庄大谷と呼べる地に京都大谷と同名なるを慕いて寄宿ありしが、その後応永十八年七月二十八日荒川に移り、坊舎を構へて巧如上人より閣号を賜ひ大谷山華蔵閣と号せり。その孫蓮助三代目の住持として相続するに及ひ、蓮如上人の息女を室となし、上人中興の大業を補佐し、上人の賜ひし興行寺の号はこの時より始まる。その後寺基を荒川より現地に移したるが世人は相伝へて今も荒川の御寺と呼び、志比の総坊と称す。
 写真左上の「ミュージアム」は真宗資料館「華の蔵」で、薄絹蓮如上人御影の民話を上映するビデオや親鸞上人のご一生、越前の報恩講行事、蓮如上人薄絹の御影・御真筆などを展示している。