常 興 寺 案 内     福井県大野市伏石18−57 電話0779−67−1128
 開基は、本山系譜、古文書、寺伝等に依れば、京都常楽台(現京都市下京区の常楽寺)四代光崇の子光圓である。常楽台は、本願寺三代覚如の子存覚の開基によるが、光崇は、本願寺七代存如の弟で常楽台四代を継いでいる。従って、光圓は八代蓮如とは従兄弟になる訳である。
 1470年頃(文明年間)、存如上人が本願寺派の教えを広めるため、北陸に下向した際、蓮如と共に随伴した光圓は、加賀国能美郡軽海卿塩原村に留まり、一宇を建て常興寺と号した。これが常興寺の始まりである。(現石川県小松市塩原町と思われる)
 当時、北陸は、五代綽如上人の努力で本願寺の教化が広まっていたが、特に綽如の次男頓圓、三男周覚、その子永存ー蓮真等は各地に寺院を建て、本願寺派の門徒を増やしていった。中でも、如上人の孫である如乗は、北陸の本願寺派重鎮として越中、加賀にも門徒を増やしていった。開基光圓もそれらの活動の中で常興寺を開いたといえる。

写真説明
右上:蓮如上人御遺骨 本願寺第八代門主の御遺骨、当山に分骨されたもの。
左上:大蛇済度経石 加賀の塩原に御堂を建立しようとしたところ、大蛇の化身である女人が現れた。蓮如上人はこの女人に対し念仏を唱え、仏法を説いたところ、女人は喜び、小石に三経の文字を残し、もとの大蛇に戻り浄土へ救われていった、と言い伝えられている。