芋ヶ平(地図)

蓮如上人御旧跡(南条郡今庄町芋ヶ平)   
蓮如窟の由来:文明3年(1478)本願寺第8世蓮如上人は、叡山の山法師のた
めに、本願寺が破却され、やむなく難をのがれて越前へ下向された。今庄から宅
良谷へはいられ、芋ヶ平のある老母の案内で、この岩屋にしばらくの間かくまわ
れる事になった。強信の老母は三度の食事を運び、心をこめて上人をお給仕申し
上げた。しばらくしてお別れの時がきたので、老母に形見の六字名号をおさげに
なり。
 「こいしくば南無阿弥陀仏を唱うべし われも六字のうちにこそ住め」
とお歌を残されて、涙ながらにお別れを惜しんで出立されたと云われている。蓮
如窟は、通称木の股谷の南に面してラッパ状の形をしている。高さ約4米、幅約
2米の円錐形で白色の石灰岩よりなっている。真宗中興の祖としての蓮如上人
の遺徳を偲び、参詣者のたえまがない。
蓮如窟は写真の右下番号が7番です。