演 仙 寺 案 内: 坂井郡坂井町御油田 電話0776−66−0729
 豊原三千坊中、演仙坊の住持であった肇尊は、父祖の意を継いで専修念仏に心を寄せ、山を降りて乗兼に草庵を結んだ。
 折しも文明三年、近江より吉崎に移られた蓮如上人に会い、本願他力の教えに帰して、六字の御染筆と法名浄尊を賜り御油田に演仙寺を建てた。
 文明七年、上人が吉崎を退出されると、開基浄尊は上人の四男、加州山田の蓮誓公に仕えた。
 やがて、長享の一揆が起こり、本願寺勢に対する将軍義尚の詮議が及ぶと、これを逃れるため長屋に蓮誓を迎え入れ、奥慶寺を建てた。また、公の息女をもらい受け養女にしたという。
 養女は後に、夫、第二世浄心が早逝すると、第三世を継ぎ、本願寺證如上人より御文章と法名受恵を賜り、一揆に揺れた時代を超えて卒寿に至るまで法燈を護った。
 天正三年、信長軍が越前に侵攻して、一向宗とその諸寺院を討たんとしたので、一家は木部高柳に避難。天正十年第四世願順のとき御油田に戻り現在地に御堂を建立した。




左の写真:親鸞上人の銅像