<福井県のバスフィッシングのプチ歴史>


※昔の記憶を辿っているため、多少の年度違いはあるかもしれませんので、あしからず(^_^;)




まとめ


 ここまで書いた以外にも、昭和から平成中期にはいろいろなことがありました。

 今、バスフィッシングが楽しまれているフィールドそれぞれに紆余曲折がありますが、全ては書ききれないので、また機会があればと思います。

 ただ一つ言えるのは、今は純粋にバスフィッシングが好きな人がフィールドには多いように思います。

 僕らの世代は加齢による体力低下もあり、あと何年ボートフィッシングを続けられるかわかりませんが、フィールドで会うことがあればよろしくお願いします。

 お・し・ま・い

 とがちゃん by 野尻湖


平成10年〜 その11


 バスフィッシング当時のあるあるネタとして、どのフィールドにも「俺がパイオニア。」的なバサーが出てきたこと。

 ブーム以前には、自分たち以外にバス釣りをしている人を見かけたことが無い河川やリザーバーでも、初見の方から「このフィールドは自分が一番古くから足繁く通っている。」的なことを聞かされることが時折ありました(笑)

 まあ、そんなことはどうでも良いことなんですが、「BBCが遊漁券で漁協と一緒に儲けている。」という荒唐無稽な100%悪意に満ちた作り話もたまに耳にしましたね。


平成10年〜 その10


 バス害魚論が広まると、クラブやチームも少しずつ消滅。
 そして前述の平成17年の外来生物法制定をきっかけに、BBC以外のクラブやチームはほぼ消滅したようです。

 ちなみに、友好クラブの動向を見ると、そもそもメンバーが釣りをしなくなったというチームもあれば、ソルトへ転向したというチームも。

 実際、BBCからも、ソルト転向などを理由に何人かが脱退しましたが、元々バスフィッシングブーム前から釣りを楽しんでいるメンバーも多かったことから、他のチームほどの影響はありませんでした。

 ただ、当時困ったのが、外来生物法を正しく理解していない一部の人から、「バス釣り=違法」と誤解して犯罪行為のように揶揄されることがありました。

 ただ、ブームで一時的にバス釣りをしていた人たちがフィールドから消え、釣りやすくなるという恩恵もありました。


平成10年〜 その9


 バスフィッシングブームの一方で、巷ではバス害魚論も日増しに大きくなってきました。
 「ブラックバスは水辺の鳥さえも水中に引きずり込む獰猛な魚」なんて偏見に満ちた記事が、普通に新聞に掲載されたほど。

 で、国が国民にパブリックコメントを求めたところ、 確か100万件以上のコメントが寄せられ、その90%(99%以上だったかも)のコメントはバスの経済効果や有効利用を訴えるものであったにもかかわらず、外来生物法が制定され、ブラックバスが特定外来生物に指定されました。
 今から約18年前、平成17年のことです。


平成10年〜 その8


 また少し話が前後しますが、この頃に野尻湖スモールマウスなる魚種がいることを知り、早速大吉と釣行するも惨敗。
 帰り際、地元の方から、「ラージの釣り方じゃ釣れないよ。」と言われ、これを機にスモールを研究、そしてあるきっかけを掴んで釣果が劇的に伸びるように。

 当時、印象的だったのが、野尻湖チャプター開催を知らずに釣行したある日、大勢が参加していた大会の優勝スコアより、僕らの釣果が良かったことから、地元のボート屋の方から、「当店代表で次回から参加してくれないか?」との打診が。

 さすがに簡単に釣行できるフィールドではないためお断りしましたが、ちょっと嬉しかったです。


 野尻湖 Cさん


平成10年〜 その7


 話は変わり・・・
 実は、龍ヶ鼻ダムではスロープが開放されていた時期があり、以前は水辺までボートやバッテリーを運ぶことができました。
 ところが、ごく一部のマナーを守らないにわかバサーが車をスロープから上げず水辺に放置したまま釣りをしており、しばらくしてスロープは再び閉鎖されることに。

 非常に残念ではありましたが、その手のにわかバサーは車が入れなければ釣りをしないレベルの情熱の人達だったので、今考えれば良かったのかもしれません。



平成10年〜 その6


 フィールドAの続き。
 後日、ボート持ち込みの具体的な確認をするため、地元自治会長を再び訪問すると、態度が一転。
 「そんな話をした記憶はない。ゴミ清掃活動のボランティアだけやれ。」と、滅茶苦茶なことを言い出した。

 地方自治体(県や市町)や企業であれば前言撤回なんてことは無いのですが、高齢者が幅を利かせる閉塞的な自治会(町内会)あるあるで、多分、地元の重鎮か誰かに覆されたのかと。
 
 あまりに無責任な態度に呆れつつも、ここでケンカや対立するのは一番ダメなので笑顔で撤収。
 ただ、それ以来、そのフィールドには一切行っていません。
 ゲリラ的にボート、フローターを出している人がいるという話は聞きますが・・・

 まあ、毎回、毎回、上手くいくわけではないということで、良い経験になりました。


平成10年〜 その5


 古くから陸っぱりバーに親しまれているフィールドA

 規模的にもボートの持ち込みが公認されれば、さらに人気フィールドなること間違いなしと思い、管理する民間企業にコンタクトを取ったところ、「地元自治会の了解さえ取ってくれれば、全然OKです。」とのこと。

 そこで、ポケットマネーで菓子詰めを購入し、だ〜よしと2人で地元の自治会長宅を訪問。
 フィールド清掃を定期的に行うことや、釣行の際の飲食物を現地購入(経済貢献)すること等を説明したところ、「どうぞボートを持ち込んでください。」と快くOKをいただいたのですが・・・


平成10年〜 その4


 BBCでは、正々堂々とバスフィッシングを楽しむため、地方自治体や漁協などの関係各機関と話し合いの場を何度か持ってきました。

 いろいろなフィールドの関係者と話し合いや意見交換を行うことにより、自身も法律や条例について学ぶことが出来、今もいろいろと役に立っていることは以前も書きました。

 とはいえ、上手くいった事例もあれば、そうではないケースもありました。


平成10年〜 その3


 少し話が前後しますが、龍ヶ鼻ダムに最初にボートを浮かべたのはBBCではありません。
 地元の他のクラブの人達から、「人力でボートを降ろしてる。」と聞き、「それなら僕たちも。」と。

 当時はボートドーリーも一輪車も一切使わず、人力で何往復もしていました。
 今じゃ考えられないですね。

 で、それから数年後、竹田川漁協と竹田地区の公民館で話し合いの場所を持ち、「バス釣り禁止」の方向性から一転、「バス釣り容認」に転換していただいた次第です。


 昨年の龍ヶ鼻ダム 58p 大吉


平成10年〜 その2


 県の水産課とのやりとりについては、以前も詳しく書いたので割愛しますが、対応は紳士的でこちらの主張もしっかり聞いてくれました。
 何より驚いたのが、バサーとは全く違う視点から、徹底的にブラックバスの生態を調査した分厚い資料を作成していたこと。

 これを契機に、バサーも権利を主張するだけでは通用しないこと、相手の主張にも耳を傾ける必要があること、法律や条例の知識を身につける必要性を痛感しました。


平成10年〜 その1


 ここ数年、フィールドで出会う福井ナンバー、石川ナンバーの車のバサーは、みなさんフレンドリーな良い方ばかり。
 むしろ人見知りな僕の方が不愛想かも(汗)
 しかし、当時はそうではないにわかバサーも多少見かけました。

 バスフィッシングブームの一方、全国的にマナーの悪いバサーが問題として取り上げられるようになり、それに合わせるように不法放流による環境破壊や害魚論なるものが広がりはじめました。

 県の水産課より、話し合いの打診を受けたのもこの頃1999年(平成11年)です。


 
 石川県でドリームレイクのインストラクターもしていたタカくん




平成初期 その10 ローカルトーナメント全盛


 初期の頃のBBCトーナメントは陸っぱり大会でした。
 しかも、同じ人が優勝出来ないようにハンデキャップ制を導入したり。
 それが年々純粋に実力を競う方向になり、ルールも明確化、そしてボート戦へと。

 ちなみに、バスフィッシングブームの中ではBBC以外でも、ショップやチームのローカルな大会があちこちで開催されており、メンバー達もあちこちで優勝、入賞してました。
 もちろん、自分も都合が合えばスポット的に参戦してました。

 そんな中で個人的に記憶に残っているのが、苦手とする琵琶湖で開催された某ショップの大会。
 ノーフィッシュ続出のタフコンの中、40p後半、50pupでリミットメイクして、ぶっちぎりで優勝したのが一番の思い出かな(^^;)


 次回から、平成中期に(^^;)


平成初期 その9 福井県初の・・・


 1996年(平成8年)には、個人的に大きな出来事がありました。
 それは県内フィールド初のロクマルキャッチ!
 ※といっても、ロクマルという言葉が世に出てきたのはもう少し後のことですが。

 琵琶湖ならともかく、当時の福井のフィールドでは50pが夢のサイズだったので、にわかには信じてもらえないサイズでした。
 ちなみに、場所は広野ダム、ルアーはスピナベ。
 それ以来、BBCではそのバスが釣れた岬を60岬(ロクジュウミサキ)と呼んでいます。


平成初期 その8 メガバス神話期

 バスフィッシングブームを語るうえではずせないのがメガバス
 特に1996年(平成8年)に発表されたPOP−Xは、超入手困難な激レアルアーとなりました。

 実は当時たまたま仕事で東京にいた僕は、都内の某ショップにおいて、運良く発表直後のPOP−Xを大量に買い付けることに成功
 これを帰福してからメンバーに配ったため、まだ市場にほとんど出回っていないPOP−Xをメンバーらは普通に使っていましたね。


平成初期 その7 チーム乱立期

 バスフィッシングブームの影響で、当時、県内にもたくさんのバスチームやクラブが立ち上がった。
 僕が知っているだけでも10チーム以上はあったかと。

 BBCでもその中のいくつかのチームと親交があり、交流戦なんかをやっていました。
 ちなみに当時は、BBCトーナメントを開催すると定員50名にすぐ達してしまい、参加をお断りするほどでした。

 そういえば、BBCの中だけでも、「ブロバンス」、「Nグループ」、「チームグレハン」、「GTO」などのクラブ内チームが存在してましたね〜。


平成初期 その6 バスフィッシング絶頂期

 時はバブル期、マイナーな遊びだったバスフィッシングが、人気芸能人の趣味としてテレビで取り上げられるようになり、爆発的なブームメントが起きた。

 すると県内で唯一のバスクラブだったBBCにも、テレビ新聞からの取材依頼が複数あり、テレビは日程調整がつかずお断りしたが、新聞には何度か掲載いただいた。
 カラー紙面で大々的に掲載されてインタビューされたりも。

 さらにはスポンサードの打診まで。
 さすがにスポーサードは丁重にお断りさせていただいたけど、今じゃ考えられないですね(^_^;)

 新聞取材時の一コマ


平成初期 その5 突然のブーム到来


 ボートという武器を手に大吉とあちこちのフィールドに出かけるようになると、自分が明らかにレベルアップしていることを感じられるように。

 当時、特に好んで出掛けていたのが、石川県の前川
 ホームのリザーバー(広野ダム)とは全く違うタイプのフィールドで、毎回40pup、50pupがラバージグ、テキサスリグでキャッチ出来ました。
 ちなみに、今は護岸工事が進み、全く釣れないデスリバーらしい。

 護岸工事される以前の前川


 そして突然、バスフィッシングブームの波が一気に押し寄せてきた。
 確か平成5年か6年頃だったと思います。


平成初期 その4 ブーム前夜

 ボートを手にしたこともあり、釣果は日々良くなり、数を釣ることで知識も増え、技術も向上しました。

 この頃になると、バスフィッシングも少しずつ認知されはじめ、釣り人もポツポツと見かけるように。
 また、いろいろなフィールドの情報も入るようになり、あちこちのフィールドに出かけるように。
 すると、意外にそれぞれのフィールドにロコがいることがわかり、「それじゃ」ということでバスフィッシングクラブBBCを設立したのが平成4年(今から30年前)のことです。
 
 ちなみに、BBCの本当の意味を知っているのは、自分だけ・・・多分(^_^;)


平成初期 その3


 今では考えられないが、当時のアルミボートは現状渡しでした。
 店員さんも「取り扱ったことが無い。」とのことで、エレキやバッテリー、バウデッキ等々・・・全て梱包されたまま渡された(+_+)

 開封すると、組立説明書も全て英語。
 バウデッキもエレキマウントも自分で加工してボートに取り付ける必要があり、大吉と数日がかりでセットアップ。
 ちなみに、信じられないことだが、ドレンコックが最初から欠品で、ナイロン袋を詰めて栓をしてました。

 作業ついでにブルー全塗装したり(#^.^#)

 ブルージョン


平成初期 その2


 平成に入った頃から釣り欲はさらに高まり、陸っぱりだけじゃなくボートで釣りがしたいと思うように。
 ただ、その当時の県内にはボートフィッシングという概念が無く、ボートを入手する術も無かった。
 
 そんな折、福井に出店して間の無い上州屋さんでボートを手配してもらえるとの情報が。
 で、上州屋さんに確認すると、「福井での販売実績は無いが他県では取り扱っているので、取り寄せは可能。」とのこと(^^)/

 すぐにボートを注文。
 平行してボート免許の取得することに。

 ボートを注文後、ボート免許の取得のために島田商会に。
 当時、手続きの際、「目的はジェットスキー?それともマリンボート?」と聞かれ、「湖でのバスフィッシング」と答えると、めちゃくちゃ不思議そうな顔をされたのを覚えている(^_^;)

 それよりも、ボート、免許取得、カーキャリア等々・・・
 ボーターになるまでに、予想以上の時間とお金がかかることを知った。

 しかし、大変なのはボートが届いてからだった。


平成初期 その1


 昭和から平成になり、釣行も1人から2人になると、1回の釣行から得られる情報が格段に増えた。
 大吉が釣れたら、すぐにその釣り方を真似た。
 彼から学ぶことも多く、釣果も格段にアップしていった。

 この頃になると、バスフィッシングの知名度も少しずつ高くなり、独占状態だった広野ダムでも自分達以外のバサーをたまに見かけるように。

 特にNくんとはよく会い、毎回情報交換をしていた。
 残念ながらNくんはバスフィッシングを辞めてしまったが、当時Nくんと時折一緒に釣行していたのが、今も仲間のだ〜よしである。 

 だ〜よし


昭和60年代 その3


 昭和64年、天皇が崩御し平成となった。
 この年、たまたま配属された隣の部署に同じ年齢の奴がいた。
 
 以前から顔や名前は知っていたが、ほとんど話したことも無かった。
 しかし、たまに言葉を交わすうち、なんと当時は超マイナーなバスフィッシングを、彼もやっていることがわかり意気投合、毎週のように一緒に広野ダムへ釣行するように。

 それが今も一緒に釣行する大吉である。

 今も同じ職場の大吉
 


昭和60年代 その2


 今では考えられないが、当時の広野ダムは湖岸まで車で普通に行けた。
 しかも、10台以上は余裕で駐車も出来た。
 水質もジンクリアでアカハライモリがたくさん生息していた。

 そんな広野ダムに毎週のように通っているうちに、水中に変化がある付近(ストラクチャー)にキャストすると釣れることがわかりはじめ、それからはコンスタントに毎回4、5本はキャッチできるように(^^)/

 ただ、毎回一人で釣行ってのもつまらないもんだった(+_+)

 車で湖岸まで

 


昭和60年代 その1


 60年代に入ると、バスフィッシングは琵琶湖ではかなりポピュラー遊びでしたが、福井県では超マイナーな釣りで、フィールドも常に独占状態。

 ただ、広野ダムに足しげく通うものの、知識もスキルも無い。
 もちろん、、インターネットも無い時代。
 一人で試行錯誤しても、釣れるのはせいぜい1、2本。

 それでも十分楽しかったけど、釣果を比較する相手も競う相手もおらず、なかなかレベルアップは出来なかったです(+_+)


 


昭和50年代 創世記



 当時、ルアーフィッシングといえば北潟湖や県庁お堀ライギョ釣りが定番。
 今なら、県庁のお堀で釣りをしようもんなら、すぐに警備員が飛んでくるかと(^_^;)

 バスに関しては、確か昭和58年の新聞に、「初めて福井県内(広野ダム)でブラックバスの生息が確認された。」という記事が掲載されたのが最初かと。
 20歳代〜30歳代のバサーは、まだ生まれていないですね(笑)

 早速、僕もその記事を見てすぐに釣行するも全く釣れず・・・理由は、個体数とかの問題ではなく技術的な問題。
 それでも、その数年後には、なんとかバスが釣れるように。
 ちなみに、そう当時はブラックバスという魚の知名度は低く、欲しいルアーやワームも県外に買いに行くか、通販で買うしかなかったですね。
 
 次回、昭和60年代に続く





 バスフィッシングが一大ブームとなった平成初期〜、福井県内ではバサーへの風当たりも強くなり、各フィールドでバサーの全面締め出しの動きがありました。

 そんな中、平成11年に当時の県の水産課「釣り人側の意見も聞く」ということで、フィッシングポイントさんからの依頼で、福井県初のバスクラブだったBBCに白羽の矢が立ち、代表2名が水産課の方々と話し合いを行うことに。

 その話し合いで水産課の方々からは、「外来魚は排除すべき。」としながらも、釣り人の立場にも一定の理解を示していただきました。
 しかし、そんな折、龍ケ鼻ダムを管理する竹田川漁協「バス釣り全面禁止、徹底駆除」を検討しているとの情報が。


 そこで、同年、竹田川漁協にコンタクトを取り、BBCが釣り人の代表としてフィールド開放に向けて正式に話し合いを行うこととなりました。
 話し合いは竹田地区の公民館にて竹田川漁協からは漁協長をはじめ5名程度、BBCからも5名程度の総勢10名程度が集まり行われました。

 その場での竹田川漁協側の意向は、「遊漁料(年5,000円程度)が徴収できるなら釣りを認めるが、ボートの使用は認めない。」という、かなり厳しい内容でした。

 そこでBBCとしては、「遊漁料5,000円は若者には厳しい。3,000円程度でなければ支払わない人が出る可能性が高い。また、遊漁料を徴収するならスロープの草刈りとボート類の持ち込みを認めて欲しい。」と強く主張。

 当初、話し合いは平行線でしたが、最終的に、「遊漁料3,000円、ボート類の持ち込みについては安全確保して自己責任であれば。」と、概ねBBC側の主張を受け入れていただきました。
 ただ、「車の乗り入れ」については、「スロープは県が管理しており、竹田川漁協にはバーの開閉の権限は無い。」とのことでした。

 ということで、「バス釣り全面禁止、徹底駆除」となるところを、「全国のフィールドよりは比較的割安に、かつボートの持ち込みも自己責任で認めてもらい現在に至る」というわけです。
 で、この当時のやりとりが竹田川漁協の議事録に残っているらしく、今回、漁協が値上げを水産課に報告したところ、「BBCにも連絡するように。」との指示があり、連絡があったという次第です。

 ここで誤解して欲しくないのが、今回、BBCは竹田川漁協より値上げ報告を受けただけで、BBCが金額の交渉に入っているわけではないこと。
 なにより竹田川漁協さんも20年以上金額を据え置いたうえで、全国相場に近づけただけなので、気持ちよく釣りをするためにも、快く支払うべきではないかと。

 ということで、みなさんシーズンまでに遊漁券のご購入を(^ o ^)

                今年度の遊漁券

 ※法律、条令等の専門知識は省いてわかりやすく記載しています。

 ※遊漁料徴収には、本来は魚種認定が必要ですが、当時全国的に魚種認定は受けずに協力金として遊漁 料を徴収する方式が広まっており、県の水産課でも「手法に問題無し」とのことでした。
  また、竹田川漁協が提示した年5,000円という金額も当時の相場として妥当な額でした。

 ※その他のフィールドについても、BBCではいろいろとお話しをさせていただいてるので、また機会があれば ご説明します。