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  山口勝弘の

         コラム
        

          サッカー機関紙「キックオフ」によせて




 コミュニティとしての “越まほろば物語”
Jan.2000


 私と“越まほろば物語”の関わりは、
4年程前、県からの委託で六呂瀬山古墳群の公園整備に携わったことに始まります。仕事がら、各地の街づくりや公園整備に接することの多い私は、その後、六呂瀬山古墳の公園整備に向けての若干のお手伝いと、十周年のイベント“石運び”への参加を通して、この物語の“聞き手”から“創り手”に移ることになりました。

 最近でこそ、“住民参加の街づくり”が声高に言われていますが、10年以上も前から、自分達の故郷を見つめ、伝統と新しい文化づくりを真剣に考え、具体的に行動されてきたこの物語の参加者に、当時私は、大きな敬意とそのエネルギーの大きさに驚きを覚え、今後の街づくり、コミュニティの在り方に大きなヒントを得たことを今でもはっきりと憶えています。



 
そもそも、コミュニティとは、18世紀の英国において、産業革命で工業都市化が進み、同時に大気汚染、水質汚濁、廃棄物放棄等が万延し、苛酷な労働と劣悪な職場、不衛生な住環境により人間性が疎外されました。これらの解決策・社会改革として提唱されたのが生活共同体“コミューン”でありコミュニティの始まりであると言われています。しかしながら、都市に住む現代人はその精神である“共同体を支える義務”から開放されて、自治体、行政サービスに頼りきりなのが今日の現状です。

 近年、高齢化社会・長寿社会の到来でやっと地域環境の大切さに気付きましたが、日常生活の中での居住地づくりに参加して、自分達の役割を確認する自発的参加型の新しいコミュニティを、いち早く経験した鳴鹿地区の住民は、まさにこの意味では先駆者であり、地域づくりに対して大きな誇りと自信を持つべきです。
 
 その昔、六呂瀬山古墳の表面は多くの玉石で覆われていたらしく、調査時にも多くの玉石が確認されています。1号墳の大きさは、全長が
140m、後円部の直径は78m高さは13mで、前方部の長は67m,幅は58m高さは11mあり、この表面積をざっと計算すると約10,000uになります。一個2030pの石を並べてみると1uに18個必要になりますから、全体を石葺するのには1号墳だけでも18万個の石が使われていたことが推測されます。『越まほろば物語』1回の石運びで運んだ石は、約1,600個ですから18万÷1600=112。全体を石葺にするには1号墳だけで112回の石運びが必要になります。古墳群全体を考えると気の遠くなるような時間がかかり、唯々、昔の人々のエネルギーに感心させられます。 

 エネルギーの大小はありますが、この10年間の活動を通して確認された、私達の故郷への思い、地域とのつながりを大切にする気持ちを、自分達で運んだ1600個の玉石でモニュメントとして形に現わすことは、今、改めて各々が自分自身と地域との関わりを考え直す大きなきっかけになると考えます。古代から連綿と受け継がれてきた偉大な営みを円墳に見立て、その遺産を礎として作られるモニュメントは、新世紀に羽ばたく私達のコミュニティの象徴であると私は信じます。


 丸岡サッカー保護者歴15年                         
                                                  Mar.2008   
                                                 
日本の常識は世界の非常識

子供がサッカーを始めたばかりの私にとって、サッカーでの常識は他のスポーツでの非常識であった。週末ともなれば早朝から弁当を作り両親で応援。父親は、寒いと言ってはストーブを焚き、暑いと言ってはテントを張る。母親は、我が子の活躍に涙を流し、ついにはそろいのTシャツで応援しようとまで言い出す。(さすがに却下) 二年以上かけて積立てる修学旅行費用ほどの金額を、遠征費の名のもとに年に何回も納める。指導者も仕事と家庭を犠牲にし、こちらが心配になるほど熱心に一年中活動する。

少子化が進み親が子供にかける期待は、かけた教育費に比例して膨らんでいるのではない だろうか?サッカー少年達はその重圧で潰されてはいないのだろうか?期待に応えられずレギュラーになれなかった選手は、サッカーそのものが嫌いにはならないだろうか?

 十五年間、三人のサッカー少年の保護者として膨らみ続けた私の心配は、この一年間でもろくも崩れ去っ
た。試合ではビールも飲まず、最前列で望遠レンズ付一眼レフを片手に声援し、たかが子供のサッカーの試合結果に阪神戦のように一喜一憂する。
 私は誰よりも非常識な親になっていた・・・・・。