初フルマラソンチャレンジ記

2002年11月17日 チャレンジ松岡九頭竜フルマラソン大会

<ダイエットのために走り出す>

 2001年の9月からダイエットのために走り出した。北陸地方で天候もあまりよくないので、スポーツジムで走るのが主だった。週に2〜3回45分かけて8kmぐらい走るのがやっとだった。走ったあとサウナに入って、体重を計るのが楽しみだった。1ヶ月に2kgぐらいずつ落ちてきた。
 3月ぐらいになり、早朝に外を走るようになった。5時半頃におきて、40分ほど走ってシャワーを浴びて、朝食を食べるという生活になった。外を走るようになってからはあまり体重は落ちなくなってきた。走る時間が少ないのか、それともよく食べるからか。週に1〜2回はジムに行って汗を流して、サウナに入って、それまで落ちてきた体重を維持するようにした。
 そして、同じ走るなら何か目標を持とうと、マラソンにチャレンジすることにした。いずれも10kmだった。4月に丸岡の古城マラソン、5月には大野名水マラソン、6月は清水すげ笠マラソン、7月は南条花はす早朝マラソンに参加した。目標は10kmを50分を切ることだったが、いずれの大会でもだめだった。
 夏にも走ることはできるだけ続けた。10月には毎週マラソン大会に参加した。1週目は福井マラソン、2週目は奥越マラソン、3週目はいまだてマラソン、4週目は春江ゆりマラソンだった。8、9月の走り込みが効いたのか、次々と自己ベストを更新していった。
 そして、いよいよフルマラソンチャレンジとなる。

<当日まで>

 10月の毎週のマラソン大会もいずれも10km参加であった。以前に1度だけ自宅から勤務先まで1時間半かけて15kmほど走ったことがあった。このままでフルマラソンチャレンジはちょっと無謀の感じがしたので、練習でもう少し走ることにした。
 11月4日はみぞれが降っていた寒い日であったが、時間がとれるのは休みの日しかないので走ることにした。丸岡から勝山方面に向けて走った。みぞれは降るし、雷も鳴るし、ちょっと怖い気持ちもあったが、走りたい気持ちが勝っていた。手がかじかんで動かなかったことを覚えている。2時間45分走って、28kmぐらいか。割と走れたが、明くる日に左膝が痛くなっていた。ちょっと不安を感じたが、1日で治ったので、安心してジョギングを続けていた。
 11月9日には、妻に勝山方面に20km計測して送ってもらった。20kmの地点で降ろしてもらって、走って帰ってくることにした。この日もみぞれ混じりの雨が降っていて、寒い日だった。ジョギングのペースで走って、2時間ぐらいで帰ってきたので、こんなものかなと思っていた。この調子なら4時間半は切れるだろう、あわよくば4時間以内(サブフォー)達成ができるかなとも期待を抱いていた。
  
<スタート>

 当日は5時半に起きて、準備をして8時前に会場に向かう。会場で仕事仲間のSさんと出会う。以前に1回出たことがあるSさんは、30km過ぎで歩いてしまったと言うことである。「30kmを過ぎると地獄を見ますよ。」と言っていたSさん。
 いよいよ9時スタート。Sさんとわりとゆっくりのペースで走る。1km6分弱のペース。5kmを26分ぐらいだったか。10kmは56分ぐらいだと思った。1時間以内でいければと思っていたのでいいペースだった。ただ、松岡九頭竜はフルマラソンは、堤防沿いを福井の中角橋付近まで2往復するものであった。1往復はSさんと話をしながら、余裕のある走りであった。

<20kmを過ぎて>

 2往復目となると、ずいぶん差も付いてくる。先頭の人たちは軽そうにタッタッと走っている。本当は苦しいのだろうが、走り方が軽やかである。自分ももっと体重を落として、軽く走りたいと思った。そろそろSさんも少しペースを上げだした。ここに来てペースを上げるなんて、さすがだなあと感心していた。今まで何度かSさんと同じ距離のマラソン大会に出ているが、Sさんには勝った試しがない。当面の私の目標はSさんある。だんだん足が重くなってきているのが分かる。心臓はつらくないのに、足が重くて動いてくれない。

<30kmを過ぎて>

 30km近くになると、前に走っていったSさんがいた。足がどうにも痛くなって歩いたのだそうだ。何度か痛めていて、前日も医者に行ってきたらしい。一度痛めるとなかなか治らないのか。とても悔しそうであった。
 30kmを越えると、本当に足がいうことを聞いてくれない。エイドステーションで水をもらうために立ち止まると、次がさっと走れない。何とかよろよろと走りはじめる始末。30kmから35kmあたりが、最大の難関であるというマラソンの解説者の言葉がよく分かる。スピードを上げるなんてとんでもない。なんとか歩かずに・・・という意地みたいなものだけである。途中で4時間を切るのが無理なのも分かり、走り込みも十分でないのにサブフォーなんておこがましい理想だったと自分を戒めつつ走る。こうなったら、何が何でも完走だけはしてやるという気力の戦いであった。「フルマラソンを走る」と豪語してきた職場の仲間にも意地があるし、応援のために旗まで作ってくれた仲間もいるし、何としてでも完走だけはしたかった。

<感動のゴール>

 40kmを過ぎても、足取りが重い重い。歩いているより遅いのではと思われるほど遅かったと思う。橋を渡りきって、最後のグランド1周の長いこと、長いこと。それでも何とかゴール。思わず両手を上げて万歳をした。残念ながら、その瞬間はデジカメで撮ってもらえなかったが。
4時間18分53秒
 思い出に残る記録だ。しかし、最後の10kmをそれまでのペースで走りきるだけの脚力をつけるには、もっともっと走り込みが必要だと痛感した。長い距離を走り込まないとだめだ。次回はぜひ4時間を切りたい。サブフォー達成だ。そして、さらにはホノルルマラソンにチャレンジしてみたい。夢はまた膨らむ。

<後遺症>

 走り終わったあとから、膝が痛くなる。右の足の裏は、親指の付け根が水ぶくれになっていたし、人差し指の付け根からは血が出ていた。靴下が真っ赤になっていた。走っているときはあまり感じなかったのだが、付け根の部分がすれて切れていたようだ。
 左膝は横が、右膝は皿の部分が痛く、曲げることができなかった。次の日の朝は、まともに歩くことができなかった。膝と足の付け根も痛くなっていた。両膝にシップをして職場に向かう。フルマラソンを走ったのだから、これぐらいの後遺症は仕方がないと思っていた。フルマラソンはそんなに甘いものではないとは思っていたから、まだ動けるだけましだと思っていた。問題は治るのに何日かかるかということだ。
 2日目はわりと楽だった。夕方には膝もしっかり曲げられた。これではもう走れるかなと思ったが、あまり無理をせずに大事を取って、サウナと風呂だけにした。2日目でこれだけ回復すれば十分であった。
 3日目は走ることにした。丸岡のB&Gでランニングマシーンを走り出した。少し走り出すとひざが痛くなったので、ドキッとしたがペースを落として走ると膝の痛みもなくなった。普段よりはゆっくり目のペースで走ることにした。1時間で10km走った。3日目でこんなに走れるなんてと、走れることに喜びを感じながら走った。