空手は仏道修行の一つであった?

■唐手と達磨大師 ■沖縄から日本の武道へ
 空手道は、印度に於て、易筋経と称し、仏道修練の行でありました。中国に空手を伝えた達磨大師は、精神修養法を、洗髄経に、健康法と護身の技を、易筋経によって説かれています。
 達磨大師はベトナムより船で中国崇山少林寺に修行の場を求めました。少林寺で達磨大師は8年もの間、壁に向かって座禅を組み,修行に励んでおられました。しかし弟子たちは、ただ、端座する苦痛に絶え切れず、仕方なく大師が健康法として武術を教えました。これが中国全土に広まりました。しかしながらこれが唐手の起源とする説は今だに、定かではありません
 沖縄で独自の発展を遂げた唐手は大正 年東京で開かれた体育博覧会にて沖縄武徳会後の松濤館流祖、船越儀珍がクーシャンクーの型を演武し好評を得て、柔道の講道館館長 加納治五郎が門下生に唐手を指導を要請され、沖縄県人館の明成塾を仮の住処に空手道の発展に身を投じました。
大陸から沖縄へ ■日本の武道空手道
 江戸時代沖縄では、薩摩島津藩の禁武政策(1609)により、武器を取り上げられ、首里城の警護のため、武士 松村宗根が台湾のワイザイシン老(百鶴拳)に教えを受け、素手や生活に身近な道具を武器と出来るよう工夫し秘密裏に修行していました。明治維新後、手(唐手)は学校教育の一環として取り入られることになり、糸州安垣は、鉄騎を編纂をし、初段の改良、2段、3段の創設、その後、観空、慈恩などの型から平安(初段〜5段)を考案、唐手は沖縄全土に広まっていきました。