ジョグジャカルタ バスターミナル 南東のバスターミナルからホテルのかたまっているプラウィロタマン地区までは約1.5キロ。ベチャのドライバーが声をかけてくるが乗らずに歩いた。荷物が重たいとちょっとつらい距離だ。 ソロへ帰る際には再びこのターミナルを利用した。ターミナルに着いてソロ行きのバスを探すと、何人かの車掌が声をかけてきて、2,500ルピアだと言って自分のバスに引き込もうとする。 危うく乗りそうになったが、何とかかわして英語の話せない気のいい車掌に指で1,500ルピアと教えてもらい、ようやく正規の料金で乗ることができた。バスに乗るのも一苦労。 このバス、エアコンの吹き出し口は付いているのだが冷たい風は出ない。が、そんなに暑くもないから充分。 ソロへの道中、クロンチョンを歌う流しのデュオが乗り込んできてギターやウクレレに似た楽器を奏でながら何曲か歌ってくれるという願ってもないハプニングもあり、楽しいバスの旅だった。 宿泊 旅行情報のホームページ「ITIS」にお奨めとして載っていたSartika G.H.はお昼頃に着いたにもかかわらず満員で断られ、仕方なしにそこから近い「地球の歩き方」に紹介されているDuta Hotelに泊まった。 なかなかいいホテルでプール周りは凝った造りできれい。 2番目に高いプールサイド1Fの部屋に決める。 エアコンが付いているが使わないと安くなり1泊93,600ルピアnett、ビュッフェの朝食、夕方のお茶おやつ付き。 バストイレ共同の安い部屋もあり、なぜか最上階の3Fだから非常に明るい。25,200ルピア カードOK。 難点はベッドがスプリングでなくスポンジ系のやつでしかも柔らかいこと。腰痛持ちの人は注意。 あとは、サービスが高級志向で、それはいいとしてもスタッフが無駄口をたたいてくれないから一人旅にはちょっと寂しい。 ぶらぶら散歩して気になる宿を見つけた。プラウィロタマン通りを西に歩くとバティックショップや銀製品の店が点在するティルトディプラン通りになる。「地球の歩き方」の地図に載っているSENOというバティックショップに向かう路地の反対側(北側)に地元アーティストの感じがいい絵画ギャラリーがある。絵の方はモダンアートだ。 ここで「rest room」を借りようとしたら「guest room」と勘違いしたようで「今日は満員だ」というではないか。泊まれる部屋があるようだ。ゲストハウスとしての看板はないので分かりにくいが、ここに泊まれば芸術好きな人には面白い体験ができるかも。 このあたりには昔からのお屋敷が残っていて、それらを見て歩くのも楽しい。 レストラン 何軒か行ったが、Duta Hotel前の通りを西に少し歩いたところにあるPurambananが美味しく何回も通った。 サービス料税金の類もとらず、ビールも大瓶で4,000ルピアと安い。1万ルピアぐらいで済む。 さすがには流行っていて、ツーリストだけじゃなくローカルの客も見かける。 ヨーロッパ料理から、中華、インドネシアとメニューも豊富。 中華、インドネシアしか食べなかったが何を食べてもはずれはなかった。 特に美味しかったのがナシ・アヤムという鳥から揚げライス、からっと揚がったジューシーな鳥にガーリックと醤油がきいてビールの美味しいこと。この付近に泊まるのなら一度はどうぞ。 音楽(ダンドゥット) ジョグジャカルタは町が大きいだけあってソロにはない楽しみがある。夜遊びだ。 といっても私が行ってきたのはいたっておおらかな庶民の屋外ナイトクラブ。 インドネシア音楽が好きなもので中でも「ダンドゥット」のCDは何枚か持っている。で、プランバナンの安宿のお兄さんから「ダンドゥット」の常設屋外ライブがあることを聞きつけた。 「ダンドゥット」はインドネシアンポップミュージックの一つでローカルな音楽とロックが融合したものだ。ふつうのロックバンドの編成に横笛などのローカル楽器が加わり、インドアラブ系の影響を受けた旋律と相まって独特の魅力がある。 日本でいえば、沖縄ロックに歌謡曲的な要素を入れたようなものといえるかも。橋幸夫のサーフィンサウンドとか、西郷輝彦の「星のフラメンコ」的な泥臭いノリもある。(たとえが古すぎてわかんないだろうな。) 実際のライブではお色気むんむんのお姉さん歌手から、アイドルっぽい可愛い子ちゃんが入れ替わり立ち替わりにでてきてなまめかしく踊りながら歌いまくる。 お色気お姉さんがミニスカートをチラつかせて挑発すると、男どもがほとんどの聴衆はやんやの喝采。ただ平日だったので聴衆の数も少なく全体のノリはいまいちだった。週末に行くといいだろう、音楽好きの人は是非行ってみてください。 場所はジョグジャカルタの王宮の東「Pura Wisata」内の野外劇場。入場料は1,500ルピア(約40円) 毎晩9時から ホテルのフロントでこの場所を尋ねたところお姉さんに大笑いされてしまい、以後顔を合わすとどうだったと聞かれ、話の糸口ができるという効果もあった。 |